大阪大学大学院人文学研究科附属ふく言語・ふく文化共存社会研究センター

大阪大学大学院人文学研究科附属 複言語・複文化共存社会研究センター

活動事例

活動事例

阪大ふくふくセンター/メディエーターは以下のような活動をおこないます。

教育相談

教職員、教育委員会、関係団体からの外国にルーツを持つ子どもや保護者の対応に関する相談に対応する。

教科学習支援

  • 正課の授業中に、子どもと一緒に教室に入り、学習を補助する。
  • 正課の授業中に別室で、または、放課後や課外で学習を補助する。
  • 地域の学習教室で学習を補助する。

母語・継承語(母文化・継承文化)学習支援

  • 子どもたちや保護者がルーツを持つ国や地域に関する学習の企画や補助を行う。
  • 子どもたち同士でのピアシェアリングを手伝う。
  • スピーチ大会の原稿作成や発表練習を手伝う。

異文化理解、多文化共生、国際理解教育

正課の授業(総合的な学習の時間、総合的な探究の時間、社会科、家庭科、外国語科等)や課外活動、地域(自治会、子ども会、婦人会、青年会等)のイベント等における学習の企画や学習の補助を行う。

通訳

説明会(学校説明会、入学者説明会等)、保護者対応(保護者への連絡、保護者懇談、就学手続き等)、家庭訪問、学校行事(入学式、授業参観、PTA活動等)、入学・編入学・転入学相談等で通訳補助を行う。

翻訳

国・自治体からの案内文書(就学援助、就学支援金、奨学金等)、ガイドブック(学校制度、進路等)、学校からの案内文書(定期健康診断、学校行事等)、学習教材(教科書、プリント、試験問題等)等の翻訳補助を行う。

学生の体験談

大阪府内某市の教育委員会からの依頼で、外国にルーツを持つ子どもたちが公教育で学ぶための支援を行っていました。大好きなフィリピン人が日本で困っていて、それを私が少しでも救える立場にあることを知り、彼らを全力でサポートしたいという思いからこの活動を始めました。私はこの活動を2年間ほど続け、関わらせてもらった学校は計4校、受け持った児童・生徒は計10名です。
 活動の中で、学校ごとに求める役割が違い、それに順応しながら授業を作っていくことにやりがいを感じました。今回は2校の授業の様子について紹介します。
 1校目は「フィリピン語を話せるようになること」と「フィリピン人のご家族とコミュニケーションをとれるようになること」を求めている学校でした。私は、フィリピン語の挨拶や簡単な単語を読み書きしたり、ロールプレイしたりする授業を設計しました。最初の頃は彼らがフィリピンに興味を持っていないことに課題を感じていました。そこで担任や同じ活動をしている先輩の先生らにアドバイスを頂き、授業を大幅に変化させました。具体的には、授業だけで完結させるのではなく、フィリピン人の母親とコミュニケーションをとれる宿題を出したり、・口・頭を使った授業を増やしたりしました。すると、少しずつ「おはようございます。」を「Magandang hapon po!(フィリピン語で「おはようございます」)」と言ってくれるようになることが増えました。
 2校目は、「日本語の授業についていけるようになること」と「日本語でコミュニケーションをとれるようになること」を求めていました。そのため、授業中に隣の席に座って担任の先生の説明をフィリピン語に訳したり、簡単な日本語に説明し直したりすることが私の役割でした。その学校に小学1年生で繰り上がりの計算ができない子がいました。そこでその子が何を理解出来ていないのか考え、粘り強くその子と向き合っていくと、日本語がよく分からず数の概念が理解出来ていないことに気づきました。そこで手の指を使って計算することを教えました。その方法で計算の練習を進めていくうちに、やがて手を使わなくてもうまく計算できるようになりました。
 社会人になった今、人をサポートする、という経験が役に立っていることを実感しています。サポートとは、その子どもの背景を知り、それに適した環境を作ってあげるということで、活動への参加を通じて実践的に人の立場に立って考えるという視点を得ることができました。私にとってこの活動は、フィリピン文化を学ぶ機会を得られるだけでなく、子どもが困っていることを一緒に解決することができる貴重な時間でした。この活動がより広まって、より多くの子どもたちが楽しいと感じる社会になることを願っています。

大阪大学外国語学部フィリピン語専攻卒業生 佐藤南海

阪大ふくふくセンターを通して参加する活動は、子どもたちに何かを教えるのではなく、学生自身が子どもの存在に励まされながら「学び直す」活動になると考えます。
 私は2021〜2022年度の2年間、大阪府内某市の小学校2校において、外国にルーツがある子どもたち(CLD児)が自分のルーツの国の言語・文化について学ぶためのクラスで講師を務めました。私は学部時代にベトナム語を学んだご縁で、ベトナムルーツの子どもたちを担当しました。
 白状いたしますと、私は学部時代よりも活動に参加した2年間の方が必死で勉強しました。担当している子どもに寄り添うためには、受け身の知識だけでは立ち行かなくなったからです。他でもないその子が知りたがっている言語・文化的知識を集めるだけでなく、多様なルーツを持つ子どもたちを取り巻く困難について理解を深めることも必要でした。
 このような「学び直し」を繰り返しつつ、クラスでは大きく三つのことを心がけました。一つ目は、子どもが今持っているベトナム語の力を最大限引き出せるように学習計画や教材作ることです。そのために、子どもが家族と何語/何方言で話しているのか、ベトナム語の話す/聞く/書く/読む力がそれぞれどの程度あるのか、保護者にベトナム語の教育方針があるか等の情報収集から始め、子どもが家庭で日常的に触れているベトナム語からワンステップだけ上の学びができるよう意識しました。
 二つ目は、子どもから「ベトナム語はお家だけ。日本の学校は日本語しかダメ」というプレッシャーを取り除くことです。場所が変わっても、ルーツの言語や文化は常に子どもの一部です。自身の言語的・文化的背景を丸ごと受け入れられる安心感と、持ち得る全てのことばを使って学ぶことができる環境は、本来当然補償されるべきと考えます。このクラスは短時間で少規模ですが、それを実現した空間になるよう努めました。
 三つ目は、小学校の先生方と密に連携してクラスを作ることです。私の担当した学校では、学習テーマは先生が決めてくださり、そこから子どものレベルに合わせた学習目標を相談して決めました。また、このクラスが関係者だけの閉ざされた活動にならないように、子どもにとって普段の学校生活と地続きになるように、学習内容は在籍学級でも紹介してもらうことを想定して検討しました。
 活動はいつも試行錯誤ばかりでしたが、子どもと一緒に過ごした時間がとにかく楽しくて、大好きでした。同じように活動に参加する学生が増え、喜びの輪が広がっていくと私も嬉しいです。

大阪大学大学院人文学研究科日本学専攻 田中倫